ドキュメンタリー映画『阿賀に生きる』はなぜこれほどまでに輝かしい人間の息吹を感じるのか? 故・佐藤真監督の眼差しとは【若林良】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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ドキュメンタリー映画『阿賀に生きる』はなぜこれほどまでに輝かしい人間の息吹を感じるのか? 故・佐藤真監督の眼差しとは【若林良】

 

 

◾️「適切な距離」を探ること

 

  「『阿賀に生きる』は編集の映画でもあると思います」と小森さんは続けた。「なんでこのシーンとこのシーンがとなり合えるのか、わからないことが多くて、見るたびに驚きがあります」。小森さんがその例として挙げるのは、中盤、法律関係者たちをふくめて昭和電工の排水溝を視察するシーンの「次」だ。続くシーンでは白鳥がいっせいに飛び立つシーンとなり、その「飛躍」にはとくに驚かされたという。「同時に、何かの“意味”に還元される以前の面白さがこのシーンにはあります。阿賀野川から飛び立つ鳥が未来の象徴だとか、そういう解釈をする以前に、その飛び立つ姿に感動しますし、“意味”へと落とさない見せ方に感動しているのかもしれません」

 

 ドキュメンタリー映画は、「ありのままの事実」をそっくりそのまま撮った映画だと思われる側面はある。しかし、仮に観客にとっては「ありのまま」に見えるとしても、作り手にとっては「ありのまま」に、目の前にあるものにただ漫然とカメラを向けるなかで傑出した作品ができあがるなどということはない。むしろ現実の肌触りを作品に刻印するために、作り手には高度な戦略が求められる。それがたとえば、小森さんが言及する編集の巧みさであり、また先述した予想外の「じゃがいも」であるだろう。

 ひるがえって、『阿賀に生きる』のエッセンスは、小森さんの作品にはどのように受け継がれているか。作品の影響は大きくは、「距離」の取り方にあるという。冒頭で述べたように、小森さんは震災後、陸前高田に住み込み、そこで蕎麦屋のアルバイトをしながら「記録すること」を続けていった。現地で種苗店「佐藤たね屋」を営む佐藤貞一さん――その自宅を兼ねた店舗は震災の津波で流され、撮影時の店舗は佐藤さんが自力で建てたプレハブとなっていた――のもとに、小森さんは足しげく通い、それはやがて『息の跡』へと結実する。種苗の販売を続けながら、自身の震災経験とその後の生活、また陸前高田の歴史や文化について、独力で身に着けた外国語で発信を続ける佐藤さんをはじめ、震災の傷を抱える方たちと、小森さんはどのように向きあったのか。小森さんは「適切な距離」という言葉で、最後に自身のスタンスを次のように説明した。

 

「ドキュメンタリーを作るうえでは、何か大きなことが起きているときに、カメラを持ってその場にいることが必要となります。もう一度やってくださいとは言えないので、被写体になる方のそばに、自分ができるだけいるのが理想的かなと。ただ、それはその人とすごく仲良しになったから、お互いにすごくわかりあったからそうさせてくれるわけではありません。お互いにわからないものがあって、同じように痛みを感じることができないと知ることで、そこに“いていい”が生まれるんだと思います。私は撮影をさせていただく方と、仲良くなるためというよりも、そのような適切な距離を掴むために、対話を続けているのだと感じています」

 

 「適切な距離」――。それは作家にとっては、何らかのマニュアルに沿う形で容易に掴めるものではなく、作品のたびに、被写体となる人々との真摯な対話によって少しずつ得られていくものではあるだろう。

 

 同時に、一観客の視点からすれば、この言葉は「観客であるあなたは、映画とのあいだにどのような“関係”を結ぶか」という問いを投げかけるもののようにも感じられてくる。じっさいに、筆者も『阿賀に生きる』にあるたしかな「生」に出会うたびに、自分はこの人たちに負けないように日々いきいきと生活しているのか。自分の目の前の仕事に、ちゃんと誇りを持てているのか。思わず自身への問いかけが生まれ、猫背気味の背中も、自然と伸びるように感じられてくる。

 とはいえ、これはあくまで筆者個人の感覚であり、佐藤作品の未来の観客に対して、自身の見方を押しつけるつもりはない。『阿賀に生きる』はもちろん、知的障害を抱えるアーティストたちに肉薄した『まひるのほし』や『花子』も、撮影時はすでにこの世を去っていた彼岸の人――写真家の牛腸茂雄や思想家のエドワード・サイード、そして『阿賀に生きる』の出演者の方たち――の“不在”に向き合った『SELF AND OTHERS』『エドワード・サイード OUT OF PLACE』『阿賀の記憶』も、作品には何かを学ぶという以前に、表面的なテーマやイデオロギーに還元されることはない、輝かしい人間の息吹が感じられる。まずはその豊かさを、じっくりと味わっていただければと思う。この言葉は、筆者自身にも向けて書いている。一応は佐藤作品をすべて鑑賞した筆者も、根源的な感動を忘れることなく、これからも佐藤の遺産へと向き合っていくつもりだ。

 

『まひるのほし』
『まひるのほし』
『花子』
『花子』
『SELF AND OTHERS』
『エドワード・サイード OUT OF PLACE』
『エドワード・サイード OUT OF PLACE』
『阿賀の記憶』

 

追記:なお余談だが、都内には「佐藤真文庫」がある。江戸川橋駅(東京メトロ有楽町線)から徒歩5分ほどのビルのなかに、佐藤真が残した資料や書籍の一部が収蔵されているスペースが存在し、現在は月に1回ほど、週末に開館している。公式サイトから詳細は確認できるので、興味がある方はぜひ一度足を運んでいただければと思う。筆者もいることが多いと思うので、お話をする機会を楽しみにしている。

公式サイト:https://satomakotobunko.themedia.jp/

 

参考・引用文献

佐藤真『日常という名の鏡 ドキュメンタリー映画の界隈』(凱風社)

佐藤真『ドキュメンタリーの修辞学』(みすず書房)

佐藤真『ドキュメンタリー映画の地平 世界を批判的に受け止めるために』(凱風社)

里山社編『日常と不在を見つめて ドキュメンタリー映画作家 佐藤真の哲学』(里山社)

 

特集タイトル:「暮らしの思想 佐藤真 RETROSPECTIVE」

作品別画像コピーライト:

まひるのほし 』→©️1998 「まひるのほし」製作委員会

『花子 』→©️2001 シグロ

『 エドワード・サイード OUT OF PLACE 』→©️2005 シグロ

『阿賀に⽣きる 』→©️1992 阿賀に生きる製作委員会

『阿賀の記憶 』→©️2004 カサマフィルム

『SELF AND OTHERS 』→©牛腸茂雄

佐藤真監督画像→©村井勇

公開表記:全国順次公開

配給・宣伝:ALFAZBET 

HP:https://alfazbetmovie.com/satomakoto

 

文:若林良

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若林良

わかばやし りょう

ライター・編集者

1990年神奈川県生まれ。「週刊現代」「キネマ旬報」「ヱクリヲ」「DANRO」「ハーバー・ビジネス・オンライン」などに、映画評・書評・インタビューを中心に執筆。歴史ライターとしての側面もあり、著書に『偉人たちの辞世の句』(辰巳出版)。編著に『ダルデンヌ兄弟 社会をまなざす映画作家』(neoneo編集室)など。

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